第三部・完璧には足りない
第16章この灯りは知っている
这种灯我认得
中国語の原文からの翻訳です。

十一時。彼はドア枠に寄りかかり、中には入らなかった。
戸の隙間は、細く一筋だけ開いていた。その隙間から見えるのは、鏡の片隅と、鏡に映った少年の半身だけだった。ドア枠は木製で、塗装が一か所剥げ、濃い色の木が覗いていた。触れると冷たかった。彼は左手をドア枠に掛け、親指で白い輪のあたりをこすった。白いかすが少し剥がれ、足元に落ちた。彼はそれを靴の先で敷居の下へ払った。ドア枠の古い傷は、彼の肩のすぐ横にあった。廊下にはモップの水の匂いがした。薄い匂いで、木の匂いと混ざっていた。
ドア枠の上に、冷たい飲み物のボトルが一本立っていた。ボトルの文字は水でにじんでいた。水がボトルの底を伝って流れ落ち、木の上へ広がって、そこの塗装を白く浮かせていた。山のふもとの夜間営業のコンビニで、冷蔵ケースに入っているのと同じ種類だった。彼女が来ていた。来るたびにそうしていた。物をドア枠の上に置き、中へは入らなかった。
一度目は、ドア枠の上に封を切っていないおにぎりが一つあった。包装の三角の部分が、きちんと平らに折り込まれていた。二度目は一本の傘だった。骨はまだ濡れていて、ドア枠にもたせかけてあった。滴った水が、廊下の床に小さな輪を作っていた。彼はしばらく立ってから、ようやくそれに気づいた。
彼はその飲み物には手を出さなかった。それはまだそこに立っていて、水もまだ流れ落ちていた。
右耳には、折れた銀のマイク型のピアスがあった。折れ口の奥で、電光の紫の芯が明滅を繰り返していた。折れ口のあたりは、ほかより少し熱かった。熱いときは明滅が速かった。今日は遅かった。黒革のジャケットの背中の影の柄は、半拍遅れて、彼の肩に追いついた。
廊下の灯は音に反応する仕組みだった。彼が立ち止まっていると、灯は一つずつ消えていき、戸口の白熱灯だけが点いたまま残った。暖かい黄色の光で、ドア枠は照らしたが、敷居までは照らさなかった。灯の笠の中に、虫が一匹いた。もう動かなかったが、羽はまだ光を透かしていた。
部屋の鏡は、壁の一面を占めていた。鏡枠の上の長い蛍光灯は、冷たい白色だった。その光は鏡のこの一面だけを照らし、背後の壁は暗かった。この灯の下に、彼は四百時間あまり立ってきた。その時間の大半は夜だった。彼はひとりで鏡の前に立ち、同じ八拍を夜明けまで踊り続けた。蛍光灯がちらつくと、そのちらつきの回数を数えた。一晩で数千まで数えた。そのうちに、数字と拍子の区別がつかなくなった。鏡に映るのは灯に照らされた半分だけで、もう半分は暗がりにあった。彼は一度もそちらを見なかった。先生は言っていた。彼の拍子は別の部屋から伝わってくるのだ、ここへ届くころには半拍遅れている、と。
少年は鏡の前に正座し、戸に背を向けていた。パーカーのフードは背中に落ち、フードの紐が二本、胸の前に垂れていた。一本は長く、一本は短かった。少年の肩が上下し、唇が一度動いたが、声は出なかった。数えていたのだ。数えていたのは、ミリだった。少年の手はまだ顎の右側に当てられ、親指がそこの跡を押さえていた。縁が白くなるほど強く押していた。床にはプラスチックの定規が置かれ、少年の膝に寄りかかっていた。定規の縁は擦れて丸くなっていた。鏡枠の下端には黒いテープの線が貼ってあり、ちょうどその高さに合わせてあった。片端がめくれていた。
鏡の中で、少年の右の顔は明るく、左の顔は灯に押しつぶされて、一面の灰色になっていた。灯が照らしていたのは右側だけだった。右側は、少年が最も多く顎を押してきた側だった。
ジェウォンは中に入らず、声も出さなかった。彼が数えていたのは少年の呼吸で、拍子ではなかった。十二回目を数えたところで、その手はようやく顎から滑り落ち、膝の上に落ちた。指の関節には、白い跡が一本残っていた。
鏡の中の少年は、彼より半拍早く顔を上げた。
少年も顔を上げた。顎が止まったのは、三年前に彼が二本の指で持ち上げた、あの高さだった。少年の背も、それに合わせてまっすぐになった。
彼の左脚はしびれていた。片方の脚に立ち替え、肩をドア枠にもたせかけた。
冷たい桃色の光が廊下の奥から流れ込み、戸の隙間から部屋に染み込んだ。床すれすれを這い、少年ひとりの影だけを平たく押しつぶした。
廊下の突き当たりの窓の外は山だった。山頂のあの塔は、いつもならとうに消えている時刻だった。
それは消えなかった。
鏡の中の自分が先に立ち上がり、鏡枠をまたいで出てきた。その足は、窓際から数えて三枚目の床板に下り、くぐもった音を立てた。少年が毎回、第一拍を踏むときと、まったく同じ音だった。それは少年の右側に立ち、手を伸ばして、フードの紐を揃えた。紐がパーカーの布をこすり、かすかに砂のような音がした。短いほうは指半本分引き下ろされ、長いほうは押し込まれた。二本とも同じ長さになった。
ジェウォンは、その仕草に見覚えがあった。
三年前、誰かが同じように彼の紐を揃えてくれたことがあった。彼が去る日の朝だった。彼女は彼と一緒にこの部屋で練習したことがあり、のちに彼女もまた去った。彼女の手は冷たく、爪は短く切ってあった。彼女は彼の右側に立ち、二本の指で短いほうを摘まんで、指半本分引き下ろし、長いほうを押し込んだ。二本とも同じ長さになった。彼女は言った。「これで揃った。」彼は「ありがとう」と言った。その声は、彼女の言葉のあとから半拍遅れて落ちた。薄い声だった。あの日、彼の髪はまだ長く、後ろで束ねていた。彼女は、こぼれた一房を彼の耳の後ろへ押し込んだ。彼女は彼のほうを振り返らなかった。
その週、会社は階下のスタジオで彼の写真を撮った。スタジオは白かった。床も白く、背景も白かった。中央に立つ人には、影がなかった。四方から照明が押しつけるように降りてきて、彼は二時間立っていた。カメラマンは数分おきに「いいよ」と声をかけ、角度を変えた。カメラマンは、照明は修正済みの側にだけ当てる、もう片側は後で加工するために残す、と言った。四十数枚目を撮り終えたところで、ようやく水を飲みに下りてよいと言われた。
その後、誰かがそのうちの一枚をタブレットに映して彼に見せ、指先で顎のあの線をなぞり、「ここを絞って。直さないと、カメラ映えしない。」と言った。彼は自分の顎に触れた。骨はそこにあった。線はなかった。タブレットの線は細く、指でなぞったところは、指が離れるまで光っていた。
彼は「直さない」と言った。
評価の日、最後列に座っていた人は、彼を三秒見た。ペン先は紙に落ちなかった。三秒が過ぎて、ようやくその人が動いた。その三秒のあいだ、彼は鏡の前に立ち、体じゅうの肉が、自分がどこにあるかを知っていた。ペン先と紙のあいだは指一本ぶんしかなく、彼はその指一本を数えていた。あのときは、誰も彼の名を呼ばなかった。廊下の掲示板では、その月の名簿が新しいものに替わっていた。彼の名前はそこになく、その行は空白のままだった。
去った日の夕方、彼は鞄を背負って部屋から出てきた。手には水のペットボトルが一本あった。先生は廊下の向こう端に立っていた。手には出席簿を持ち、両手は垂れて、親指がズボンの縫い目に押し当てられていた。目はドア枠の古い傷に向いていて、こちらへは来なかった。彼は戸口まで来て、一度足を止め、しゃがんだ。指二本で少年の顎を支え、上へ持ち上げた。ある高さまで来ると一秒止まり、それから手を離した。彼は理由を言わなかった。
のちに、先生の言葉を伝え聞いた人がいた。あの人の拍子が遅れていたのは、ずっと数えていたからだ、と。
階段の入口まで来るころには、手の水はもう冷たくなくなっていた。彼はバス停に座って、終バスまでそこにいた。鞄は膝の上に置き、ボトルのキャップは締めたままで、一度も開けなかった。
その朝、壁の彼のステッカーは、まだそのままの形で残っていた。
彼は戸の隙間の前から一歩下がった。廊下の灯が一つ点いた。彼は鏡のほうを振り返らず、階段を下りた。
階段の灯も音に反応する仕組みだった。一段下りるごとに灯が一つ点き、背後の灯は一つずつ消えた。一階の廊下の突き当たりの掲示板には、あの名簿がまだ貼られていた。二十三行目に一つの名前があったが、彼はそれを読まなかった。
街じゅうのガラスが、いっせいに裏返った。コンビニのドア、理髪店のショーウィンドウ、バス停の広告ボックス、交差点の大型ビジョン。同じ一秒で、すべてが鏡に変わった。鏡の中は、どれも同じ冷たい桃色だった。道の真ん中には車が何台か止まっていて、ドアは開いていたが、誰も降りてこなかった。
バス停のベンチに一人が座っていた。手には空のボトルを持ち、キャップは開いていた。ガラスの中の一人も、空のボトルを持っていた。
彼は一つのショーウィンドウの前で足を止め、ガラスの中の自分を見た。右の顔は明るく、左の顔は灰色だった。
ガラスの中から人が出てきた。一人、また一人。本物の人より少しだけ美しい。顎はより鋭く、髪はより揃っていて、歩幅は同じだった。彼らはガラスの中から出てきて、街の人々のそばに立ち、手を伸ばして、その人々の髪を整えた。櫛を入れたばかりのように、髪は一本一本きちんと収まった。彼らが通ったあとのガラスには淡い手形が残り、しばらくすると、手形も消えた。
通行人は避けなかった。立ち止まる人がいた。うつむいて、髪を整えられるままに立っていた。整えられる人は目を閉じ、身じろぎもしなかった。整え終えると、髪は一本も跳ねていなかった。誰一人、顔を上げなかった。
一人の肩が彼にぶつかった。その人は謝らず、彼を見もしなかった。その人は向きを変え、ガラスの中から出てきた一人のそばに立った。相手に髪を整えてもらった。
一人の女が、ショーウィンドウの前で、一房の髪を耳の後ろへかけた。ガラスの中から出てきた一人も、一房の髪を耳の後ろへかけた。
一人の子どもが階段の上に立ち、上を仰いでいた。ガラスの中から出てきた一人が腰をかがめ、子どもの後頭部に手を置き、軽く一度押した。子どもは頭を下げた。
この通りだけではなかった。古いビルの階段の下から見渡すと、遠くも近くも、ガラスが次々と裏返っていた。同じ冷たい桃色が、筋のように次々と光っていった。階段の下の守衛小屋では、扇風機がまだ回っていて、中には誰もいなかった。
山のふもとの夜間営業のコンビニのドアも、裏返った。ドアの中の壁の隅にテレビが掛かっていて、音はなかった。画面には、この塔の下半分が映っていた。冷たい桃色に光っていた。レジの後ろに一人がいて、冷蔵ケースに品物を並べていた。一列ずつ、ボトルの口がみな同じ方向を向いていた。その人の手が一度止まり、また並べ続けた。彼は止まらなかった。立ち止まった人の流れに逆らって、山へ向かった。
歩道橋を渡るとき、風が強かった。橋の下の車道では、車がすべて止まっていた。ライトは白く、一列に並んでいた。彼のジャケットの背中、その影の柄が風にあおられて持ち上がり、半拍遅れて落ちた。
橋を過ぎると、道端の理髪店のガラス扉の中で、鏡に貼られた広告も裏返った。広告の人物は、顎が人間離れして尖り、肌には毛穴が見えなかった。その人物がガラス扉から出てきて、路上の老人の後ろに立ち、老人の襟を平らに整えた。老人は動かなかった。
坂は急だった。階段は一段ずつで、どの段の角も擦れて丸くなっていた。隙間には草が生え、草は濡れていた。街の人々の歩幅は揃っていて、彼の足はいつも、彼らより半拍遅れて着地した。彼は追いかけなかった。坂の途中で彼の息は重くなり、吐いた息が冷たい空気の中で一瞬だけ見えて、それから散った。
中腹まで来ると、街の音が少しずつ遠のいていった。残っているのは靴底の音だけで、数十足ぶんが、同じリズムで響いていた。
道端の電柱には、尋ね人のビラが貼ってあった。雨水が字をにじませ、名前は半分だけ読めた。
二つ目の交差点で、彼は一度顔を上げた。北東の空に、あの円がまだ掛かっていた。明るい面が三分の二を占め、縁には淡い紫の輪があった。明るい面には、白い雲が塊になって、動かずに浮かんでいた。暗い小さな一角には、砕けた光が数粒あった。円の上方、円よりわずかに高いところ、塔に近い側に、黒い口が一つ開いていた。口の縁には、極めて細い白い輪があり、輪の外の星はねじ曲がって見えた。円の縁はきれいだった。光の暈はなく、一本の線に沿って切り取られたように、そこに掛かっていた。白い輪は、ときおりひらめき、また暗くなった。
彼は一度見ただけで、また視線を下げた。
山頂の林の上で、塔の下半分が光っていた。鏡銀と冷たい桃色で、塔身全体が一つの色に洗われていた。光は層を一つずつ上へ移っていき、雲の下で止まった。風が林から吹き上がり、雲をさらに低く押し下げた。塔の上は、何も見えなかった。
彼は階段の途中で足を止め、手すりに手を掛けた。手すりは濡れていて、手のひらがすぐに冷たくなった。
塔の基部の入口は、継ぎ目のない鏡張りの床一面だった。入口に戸はなく、ただ一本の線が、床のこちら側から向こう側へ引かれていた。彼が踏み出すと、影は彼より半拍遅れて、鏡面に落ちた。鏡張りの床には音がなかった。靴底が落ちても、その音は返ってこなかった。彼は床の真ん中まで歩き、振り返った。背後の足跡は一つもなかった。
鏡張りの床は、木の床より冷たかった。床の縁には灯りが一周ぶん埋め込まれ、冷たい光が彼の足首を一周、白く照らした。頭を下げると、鏡張りの床に空の一片が映っていた。あの円は彼の足もとにあり、黒い口は彼の靴の先の前にあった。彼は足を少しずらした。円は一緒には動かなかった。
山頂の風は冷たかった。ピアスの折れ口に吹きつけて、紫の芯の明滅が少し速くなった。
向こうから、もう一人の自分が歩いてきた。
同じ顔だった。顎はより鋭く、肌はより澄んでいた。ジャケットも黒革で、背中の影の柄は少しの遅れもなく、ぴたりと肩に貼りついていた。もう一人の彼の靴は新しく、底はすり減っていなかった。彼自身の左足の靴は、かかとの片側が平らに擦り減っていた。この数年、外側を踏み続けてできた擦れだった。もう一人の彼は、手を伸ばして彼のジャケットを受け取ろうとした。その動きは、稽古でもしたかのように正確だった。その手は乾いていて、汗はなかった。もう一人の彼の胸は、動いていなかった。もう一人の彼の目は前を見ていて、彼を見なかった。もう一人の彼の袖口は新しく、糸くず一本なかった。彼自身の袖口には、糸くずが一本あった。三か月前、ドア枠の釘に引っかけ、一度引いたが、切れなかったものだ。
四方のスタジオ照明が一斉に点き、二人の影を両方とも拭い去った。
彼はジャケットを渡さなかった。その顔には表情がなく、欠けたところもなかった。
彼は右手をジャケットの内ポケットに当て、布越しに一度押さえた。
内ポケットには何かがあった。イヤホンだった。左側のもので、コードを輪にして、一番下に押し込んであった。先週、彼女のイヤホンのコードが絡まって一つの塊になり、彼女はそれを彼に差し出した。彼は一巻きずつ巻き直し、末端を指で押さえて、彼女に返した。この左側のものは、彼女が前回ドア枠の上に置き忘れたもので、彼は返さなかった。内ポケットの布越しに、そのイヤホンはまだ冷たかった。
彼は手を上げ、手の甲を見た。電光の紫の拍子の紋様が、まだ光っていた。光り方は、半拍遅れていた。
それから彼はもう一人の彼を回り込んで、光の中へ入った。彼の袖口が、もう一人の彼の袖口をかすめた。布は同じ布で、かすめる音も同じだった。もう一人の彼は止まらなかった。光は四方から来ていて、彼が踏み込んだ場所には影がなかった。
ステージは方形の鏡張りの床だった。四隅に細い柱が立ち、柱の上はスタジオの照明だった。客席はステージの外側から、階段状に上へ巡り、林の縁まで続いていた。椅子の背はすべて白かった。階段の上には薄い水の膜があり、塔の下半分を映していた。映っているその部分も、冷たい桃色だった。
ステージの中央で、完美鏡(パーフェクト・ミラー)は、一つの決めポーズのまま静止していた。顎は最も美しい角度に上げられ、指先は鎖骨の上で止まっていた。ちょうど半秒のあいだ、鏡張りの床の上の塵さえ動かなかった。彼女の腕と肩のラインは一本の直線で、どこも出っ張りも欠けもなかった。鏡張りの床には彼女のつま先が映り、それは彼のつま先と正面から向き合っていた。彼女の衣装には縫い目がなかった。肩から足元まで一枚で、鏡銀色をしていた。灯りが動くと、色もそれに合わせて移った。
彼女は遠く、肌の見分けがつかないほどだった。見えるのは、顎のラインが鋭く絞られていることだけだった。背中の翼は、砕けた鏡をつなぎ合わせたものだった。いくつかの破片には彼の顔が映っていた。一片ずつ映っていて、完全なものは一つもなかった。翼が一度動き、砕けた鏡の縁が互いに触れ合って、とても小さな音を立てた。それからまた止まった。髪はダイヤモンドの糸で、灯が当たると閃いた。
鏡面のスパンコールに映っていたのは、ステージではなかった。客席でぼやけ、歪んだ観客だった。客席の人々は、同時に立ち上がり、同時に座った。一列ずつ、動きの速さは同じだった。衣擦れの音まで同じだった。膝の上に手を置いている人がいた。手の甲を上に向けていて、紋はなかった。最前列の人の膝の上には、紙の束があった。紙には同じ顔が刷られていた。
彼はその場に立ち止まった。灯が顔に押しつけられ、片側だけを照らしていた。この種の灯は、スタジオでも使われていた。四十数枚の写真は、みなこの灯の下で撮られたものだった。足の指が靴の中で動いた。彼は退かなかった。呼吸は乱れていて、吸い込んだ息は、いつも人より一拍遅れて出てきた。
「この灯は知っている。修正済みの側しか照らさない。」
彼が言い終えると、言葉は彼女の間のあとへ、半拍遅れて落ちた。彼女の間は変わらなかった。
「灯があなたを見つけた。」
彼女の声には、こだまがなかった。二つの声が重なっていた。一方は低く、一方は高い。どの一字も同じ位置に落ち、耳に貼りつき、言い終えるとそれきり消えた。
彼女が見る順番は、最後列に座っていた人と同じだった。顎、目、手。
「急がないで。まずは、カメラ映えする姿に直してあげる。」
彼女の指先が、一度すぼまった。彼女はまばたきしなかった。鏡面の波紋の輪が、彼女の足もとから押し出され、鏡張りの床を這い、彼の足首をなぞり、膝をなぞり、胸をなぞった。波紋が触れたものはみな、ごく小さな、同じ高さの音を立てた。波紋は内ポケットに触れたとき一瞬止まり、避けて通った。そこの布は剥がされなかった。波紋が通り過ぎると、鏡張りの床には浅い光の輪が残った。一か所欠けていて、その欠けた口は彼の靴の先を向いていた。
波紋が彼をなぞるたびに、彼の身体から修正版が一つずつ剥ぎ取られた。一つ目は、顎のあたりが引き締まった。骨がひと回り捩じられ、ちょうど三ミリだった。二つ目は、こめかみの汗が拭い取られた。肌は一瞬で乾き、突っ張った。三つ目は、ジャケットのしわがすべて伸ばされ、袖口の擦れてできた白い一筋も消えた。
剥がされるとき、肌にはごく軽い感触があった。誰かが、日焼けでむけた一枚の皮をはがしているようだった。痛くはなかった。ただ、一度はがされるたびに、体の何かが一枚薄くなった。彼の膝が一度曲がり、また伸びた。剥がれ落ちたものは床には落ちず、鏡張りの床に触れると、消えた。
三人が、一言も発さずに彼の左右に立った。一人は左に、二人は右に、彼を挟んで立った。三人は同時に足を半寸うしろへ引き、また同時に止まった。左の一人の袖口は、彼のものより平らだった。右側に近い一人は、髪が一本も跳ねていなかった。一番遠い一人は、かかとが新しかった。彼と同じ顔だった。三人の手の甲はきれいで、紫は一つもなかった。三人の指の関節は少し白んでいた。彼と同じだったが、紋はなかった。立っている四人のうち、手の甲に紋があるのは彼だけだった。
彼は自分の手の甲を返して見た。紋はまだあった。電光の紫で、明滅していて、彼の手より半拍遅れていた。右手は体の横にあり、指の関節が一本ずつ曲がり、また一本ずつ伸びた。
「あなたは美しさが足りない。成功も足りない。完璧さも足りない。もう一度、整え直して。」
彼女の口の形と声は、前後することなく、同じ瞬間に落ちてきた。
彼女は掌を上に向けて、彼のほうへ差し出した。もう一度ステージに上がれと誘うようだった。客席の一面は、同じ顔で埋まっていた。