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第五部・自由の値札

第30章ただの建物

只是一栋楼

中国語の原文からの翻訳です。

第30章 ただの建物

アンドリューはしゃがんだ。左の膝が先に曲がり、半分まで曲がったところで、一度鳴った。くぐもった、古い音だった。彼は止まり、鳴りやむのを待ってから、最後まで曲げた。石の面は冷たく、冷たさがズボンの裾を伝って上がってきた。靴先から刻線までは十一センチ。さっき着地したときに測った数と同じだった。これで、彼の顔とあの仮面は同じ高さになった。

自由仮面は跪いていた。いつ跪いたのか、アンドリューは知らなかった。ひとつ前の瞬間、自由仮面はまだトーチの後ろに立っていて、身体は動かず、トーチだけが動いていた。いま彼は祭壇の中央に跪き、膝は石の面を押していたが、石の面に押された跡はなく、細い草の一本も倒れていなかった。背筋はまだ真っ直ぐで、整いすぎるほど真っ直ぐだった。左手は膝の外側に置かれ、掌を下に向けて石の面を押さえていた。平らに押さえていた。右手はまだトーチの柄を握り、指の節は決まった角度に曲がっていた。膝の両側の布は古く、縫い目が一度切れて、また縫い直してあった。細かく縫ってあった。

仮面の真ん中に、細い裂け目が一本開いていた。裂け目は額の中央から下へ走り、鼻筋を越えて、顎まで届いていた。裂けるとき、音はしなかった。裂け目は細く、縁は新しく、仮面の殻より一層明るかった。裂け目の底の色は緑青ではなく、淡かった。ずっと淡かった。裂け目の中には、ごく細い明かりが一筋あった。仮面の内側から透けてくるもので、石の面の光ではなかった。肩当ての継ぎ目、肘の継ぎ目、膝の継ぎ目、どれも中は空で、空っぽのまま、継ぎ目の奥の暗さが見えた。それらの継ぎ目に、値札はもうなかった。

彼の胸は動かなかった。アンドリューはそこを見ていた。長いあいだ見ていたが、一度も動くのを見なかった。

彼の足もとに影はなかった。光は石の隙間から昇ってきて、膝の下の石の面を照らしていたが、彼の跪いている場所は空で、石の面に彼の形はなかった。

最後の九枚の値札が、彼の右手の指のあいだから滑り落ちた。手はまだトーチを握った形を保ったまま、指の節が一本ずつゆるみ、紙片が隙間からこぼれ落ちた。一枚、二枚、三枚。四枚目は薬指の関節に引っかかり、一回転してから落ちた。九枚とも石の面に落ちた。紙の裏を上にして、音もなく。最後の一枚が落ちたとき、石の面の刻線が一度明るくなり、また暗く戻った。

彼の背後で、貨幣のホログラムがまた灯った。数字が一マスずつ下へ落ち、底まで落ちると、また一番上に戻った。一つの数字がある位置で止まり、もう跳ばなくなった。彼は振り返らなかった。見ていたのはアンドリューの手だった。

アンドリューの右手が伸びて、二人のあいだで止まった。掌は上を向き、その中には何もなく、わずかな汗だけがあった。汗は風に冷やされた。冷えるのは速かった。この手は引っ込められもせず、前へも出なかった。アンドリューは相手を引き起こさなかった。この手の上には、署名する場所も、承認の欄もなかった。

この手は、以前、紙の上に署名したことがあった。あの代替品の伝票で、受領者の名前は一つ上の行に書かれていた。彼は一字ずつ目で追った。どの字も合っていた。署名するとき、ペン先は紙の上で一度止まってから、下りた。その止まりはごく短く、短すぎて、彼自身も覚えていなかった。いま手は宙に止まっていて、あのときより長く止まっていた。

ほかの四人は前に出なかった。青鸞(チンルアン)の披帛(ひはく)は体の脇に垂れ、末端の光の点はとうに散って、布の重さだけが残っていた。手首には披帛が二巻き巻かれ、ほどかれていなかった。明月(みつき)は直刀を胸の前に横たえ、切っ先を下に向け、視線を地面に落としていた。刀の影は石の面に落ちて、細い黒の一本になり、揺れなかった。左の広い袖の下に一枚の紙が押さえられ、紙の角が少しのぞいていた。彼女の左手が袖口の上に置かれ、布越しに一度押さえて、また離した。スワンの左足のサテンの靴先は石の面に引っ込められ、ぴくりとも動かなかった。右足のスニーカーは灰の中を踏み、靴底の溝が深く押しつけられていた。ジェウォンは一番外側に立ち、背中の影の柄は止まっていた。遅くもなく、速くもなかった。四人とも刻線の後ろへ下がり、光の届かない所に立って、誰ひとり、もう一歩も前へ踏み出さなかった。

祭壇の上の風はかすかで、星形の壁の切れ目から入ってきて、細い草を押し倒し、また立たせた。誰も口をきかなかった。

自由仮面が、まず息を一つ吸った。肩が先に持ち上がり、それから胸が持ち上がり、底まで吸い込んで、さらに少し吸い足した。仮面の裂け目がわずかに開き、また閉じた。これが彼の初めての呼吸だった。吸い終えても、胸はすぐには下りず、そこで止まり、拍より半拍遅れてから、下りた。

彼が口を開いた。声はかすかで、石の面の細い草さえ動かないほどだった。

「誰も、私の自由を買い取ってはいない。値札を掛けたのは、私自身だ。……だが、『これは自分で選んだ』というその言葉さえ、彼らから配られたものだった。」

その一言が落ちると、石の面がそれを受け止め、星形の壁もそれを受け止めた。受け止めたあと、もう一度戻ってきた。彼の声より半拍遅れていた。彼の声に、初めて行き先ができた。戻ってきたのは、こだまだった。アンドリューにははっきりと聞こえた。

こだまが戻っていくとき、石の隙間の細い草がもう一度倒れた。祭壇の中央へ向かって倒れ、それからゆっくり立ち直った。

アンドリューの指が一度動いた。指先は冷たく、掌の汗はまだあった。彼は引っ込めなかった。あの声は石の面の上を一周し、壁の根もとまで行って、また戻り、祭壇の中央に帰って、そこで止まってから、散った。

彼の右手はまだそこに止まっていた。手首がだるくなっても、回さなかった。掌の汗は半分乾き、残りの半分は、ゆっくりと冷えていった。

青鸞は披帛を手首からほどき、また巻き戻し、きつく巻いた。明月の胸の前の切っ先が一寸持ち上がり、また下りた。スワンの左の手首で、鱗が一枚めくれ、そのまま止まって、戻らなかった。スワンの右足が石の面の上で一度動いた。スニーカーが地面に着く音は鈍く、鈍いなりに確かで、履き古した靴にふさわしい音だった。明月は自由仮面を見なかった。見ていたのはアンドリューの手だった。背後の貨幣のホログラムが一拍止まり、数字は下へ落ちるのをやめ、それからまた落ち続けた。二十四のホログラムの踊り手が散ったのは、その一拍のうちだった。一つも残らなかった。ジェウォンの影の柄は半拍遅れてから、背中に貼り戻った。石の面の値札が風に一枚ずつ吹き上げられ、星形の壁の切れ目から漂い出ていった。

トーチが自由仮面の右手から滑り落ちた。その手は震えていて、震えの果てに、ゆるんだ。ミサイルの形をしたトーチは斜めに石の面にもたれ、先端を祭壇の縁に向け、尾部からはまだ細い数字がこぼれ落ちていた。石の面に落ちると、消えた。あの数字の流れは宙で途切れ、一区切りずつ宙吊りになって、下に落ちなかった。火は消えた。

一。二。三。

四つ目で、火がふたたび灯った。今度は数字ではなく、火だった。火の縁は震えていて、数字のように揃ってはいなかった。炎の根もとは小さく、トーチの尾部の裂け目から立ちのぼり、一筋また一筋、筋と筋のあいだには黒があった。明月の刀身が火を映した。刀の峰に映ったその一点は小さく、すぐに滑り去った。

二、三歩隔てていても、アンドリューの顔はまず火にあぶられて突っ張った。炎が石の隙間の細い草の一本に食いつき、ぱちりと音がして、草は焼けて曲がり、焦げた黒を一節残した。風が星形の壁の切れ目から吹き込んで炎を傾け、祭壇の縁の方へ、ある時は左へ、ある時は右へ、不揃いに傾けた。風が一度やむと、炎は立ち上がり、真っ直ぐに立ち、それからまた風に傾けられた。火は橙紅で、小さなひと塊だけだった。

自由仮面の左手が石の面から持ち上がった。持ち上がるのは遅く、まず指が石の面を離れ、それから手首、それから肘だった。指は長く、関節のところに一本一本継ぎ目があり、継ぎ目の糸はみな切れていた。刻線は二人のあいだにあって、ごく淡い明かりの一本だった。その手は線の手前まで来て、一度止まった。アンドリューの手まで、あと指一本。それは止まり、一拍止まった。

それから、それは自分から線を越えた。

線の向こう側の灰がそれに少し巻き上げられ、舞い、また落ちた。

指先がアンドリューの掌に触れた。握りはしない、ただ触れただけだった。指先は冷たかった。金属の冷たさではなく、人の手が石の面に長く置かれていたときの冷たさだった。その瞬間、アンドリューの掌の汗が、そのわずかな冷たさに吸い取られた。彼は拭わなかった。

自由仮面は自分の膝を支えに立ち上がった。誰も支えに行かなかった。膝が石の面を離れたとき、石の面に跡は残らなかった。

刻線のそばで、石の面が一本の口を開いていた。一歩の幅で、線の内側から外側まで裂けていた。口の中には石段がのぞき、一段また一段と下へ並び、石目はみな同じ方向を向いていた。ここは星軌回廊の石段だった。石段の縁は冷たい光で、下に風はなかった。石段の縁は多くの人の靴に丸く磨かれていて、一番上の数段だけがまだ尖っていた。片側にごく細い白い線が一本あり、上の段から下の段へと続き、途切れもせず、広がりもしなかった。それは石そのものの筋だった。切れ口の底から白い光がわずかに透けて上がってきた。はるか遠くから来て、彼の手の甲に当たり、ネジの山を照らした。

一段目に小さな白い紙くずが一片落ちていた。縁は揃っていて、値札からちぎり取られたあの一片だった。紙くずは裏を上にしていた。彼は拾わなかった。

アンドリューは口の縁まで歩いて、下をのぞいた。ハンマーは彼の脇に横たわり、左の前腕の上の指揮環はまだ回っていた。ゆっくり回っていた。彼はしゃがみ、一段ずつ下へ数えた。石段の間隔は等しくなく、下へ行くほど狭くなり、十何段目かになると、靴のかかとは足の半分の位置にしか載らなかった。足音は落ちても、こだましなかった。彼の呼吸も石段に落ちて、戻ってこなかった。

三十一段目に横線が一本あった。片方の端は深く、片方は浅かった。四十四段目にもう一本。上のより浅く、縁がけば立って、上へ反っていた。五十七段目の一本はとても平らで、手で刻んだとは思えないほど平らだった。七十段目の一本はごく短く、歪まず、両端が同じ深さだった。四本。

彼は一本ずつ見ていった。深さはそれぞれ違った。同じ深さの二本はなかった。五十七段目の横に、擦り消された浅い跡が一本あり、ほかより明るい面が一つ残っているだけだった。彼はそれに触れず、数にも入れなかった。

七十段目まで数えても、彼の唇は動かなかった。数字は頭の中で一列に並び、列の端は空白の一マスだった。

七十一段目、七十二段目。彼は下へ数え続け、八十三段目まで数えた。膝は八十三段目の縁に載っていた。縁はほかより薄く、押すと石がかすかにたわんだ。彼は一度止まってから、重みを移した。切れ口は新しく、石の色はほかより明るく、断面には一筋の跡もなかった。新しい切れ口の縁に、ごく小さな白いかけらが一粒あった。塩で、石の上で乾いていた。

彼は左手を開いた。掌の中にネジはまだあった。M6、ねじ山にはスパナに噛まれた跡が一本あった。そのネジは診療所の入口で外されたもので、彼の掌に置かれたとき、老兵はただ一言だけ言った。「持っておけ。」彼はなぜかと訊いた。老兵は答えなかった。

このネジは、彼の外ポケットにひと月近く入っていて、裏地に丸い擦り跡を一つ付けた。のちに彼はそれを左の掌に移し、物を握るたびに、それはずっと彼を圧していた。

彼はネジを裏返し、ねじ山を下に向けて石の面に当てた。力は入れなかった。ねじ山がひとりでに進み、通り過ぎ、石に食い込んで、幅のある線を一本削り出した。削るときにごく細い音がした。彼自身にしか聞こえないほど細かった。真ん中の一区間は深めで、両端は浅く、ほとんど見分けがつかないほど浅かった。

一本の横線。石くずが落ちたが、着地の音は聞こえなかった。

刻み終えると、彼はネジを持ち上げ、切れ口の光にかざして一目見た。ねじ山には灰白色の石の粉が一層ついていた。親指で拭うと、ネジはもとの光沢に戻った。

五本目。彼は口に出さず、ただ数えた。

認識票の上に押さえつけられていたあの値札を、彼は外して、石の面に捨てた。胸の認識票は鎖骨に貼りつき、票面は空だった。字を刻むことを考えたことはあった。自分の名前を刻むことを。認識票に字はなく、石にもなかった。彼が刻んだのは、横線一本だった。

彼は立ち上がり、刻線の縁に立ち戻った。掌の中のネジを握りしめ、それは掌の筋に食い込んだ。さっきより深く食い込んだ。左の膝がまた一度鳴ったが、彼は止まらなかった。

それから、上昇だった。

祭壇の石の面が一層ずつ縮んでいった。星形の古い壁が一枚の平地を囲み、平地のあの口は細い一本の線に縮んだ。壁の外は港で、港の水は黒く、水面には白い反射が一筋また一筋あった。街の灯りが落ちたものだった。一本の橋の灯りが二列に並び、列の上には車があって、ヘッドライトがちらちらと光り、どれも白かった。東の川に艀が一隻停まっていて、船首の灯りは点いていなかった。港の向こう端には波があり、波は一打ちごとに堤に当たっていた。遠く、鈍かった。西の空は低く、雲が港の上にのしかかり、雲底は街の灯りに灰白く照らされていた。港の外は街で、街の灯りは一枚一枚灯っていた。人家の窓で、一層が一層の上に重なっていた。島のあの像はまだ立っていて、右手を掲げ、手の中のトーチは緑青色で、火はなかった。冠の緑青が斑に残っていた。像の台座は星形で、古い壁の切れ目はそれに正対していた。

五棟の建物の夜の灯りはまだ点いていた。あの五つの塔は同じ一秒に灯り、五つの都市の五つの場所に立ち、一つまた一つ、どれも倒れていなかった。光の中には、もう上へ跳ねる数字はなく、一区切りずつの白と、一区切りずつの暗さだけが残っていた。それらはもう檻の形ではなかった。それらはただの五棟の建物だった。どの棟の頂も見えるようになっていた。頂には灯りがあり、アンテナがあり、人の取り付けた避雷針があった。

島の外の水面の上空に、小さな暖かい点が四つ浮かんでいた。一つまた一つと並び、どれも近寄ってはこなかった。それは四隻の船の喉口で、それぞれ一点だけ灯っていた。その灯りは低く、水面までは照らさなかった。そのうちの一つが一番長く灯り、一度消えて、また灯った。四隻の船は降りてもこず、飛び去りもしなかった。

さらに上は雲で、大気圏の縁で、灯りのともった夜の面がひと続きだった。

そのとき、声が下から昇ってきた。アンドリューの声で、祭壇の中央にいたときより安定していて、一字一字が落ちるべき場所に落ちていた。その声は高くも低くもしなかった。

「塔はまだそこにある。ただ、今日からは、ただの建物だ。」

背後に足音があった。青鸞が先に歩いてきて、披帛を石の面に引きずり、刻線の外側まで来て、止まり、動かなかった。明月は直刀を肩の後ろに収め、歩いてきて、彼女の隣で止まった。スワンの靴先が一つ一つ石の面を突き、線の縁まで突いて、やはり止まった。ジェウォンが最後に着き、彼の影は半拍遅れて、彼らの後ろに落ちた。ジェウォンは何も言わなかった。彼の呼吸はかすかで、誰よりもかすかだった。四人は一列に並び、刻線の外側に立ち、誰ひとり越えてこなかった。アンドリューは振り返らなかった。彼らがそこにいることを、彼は知っていた。

彼は身をかがめて石の面の上着を拾い上げ、振って広げ、肩に羽織り直した。視線が戻ってきて、自分の手の上に落ちた。右手をズボンのポケットから出すと、掌は空だった。ポケットの中には、あの書式の二枚目がまだあった。二度二つ折りにされ、折り目は白かった。今度は、承認を要するものは何もなかった。

老兵は薬局の入口に立ち、すぐには入らなかった。立ったまま、何も考えず、ただ足の裏の冷たさが靴底から上がってくるのに任せた。風は海の方から来て、わずかな塩の匂いを帯び、通りの角を吹き抜けて、薬局の戸口に吹き込んだ。

右脚は膝から下が、あの義足だった。彼は真っ直ぐに立ち、重心を左足にかけ、右の取り付け部は地面に添えているだけだった。安定して添えていた。

彼の肩掛けかばんはまだ段の上にあった。口はきちんと留まっておらず、領収書が一枚、角をのぞかせていた。風が通りを吹き抜け、それを一枚めくった。彼は拾いにいかず、取りにも戻らなかった。領収書の裏の三度の鉛筆書きは、見なくても、丸がどこにあるか分かっていた。

段の下の水たまりに空が映っていた。彼は顔を上げず、水を見た。水の中の空は黒く、星はみな真っ直ぐで、ねじられていなかった。西のあの一角は空だった。もとあの弧が掛かっていた所には、何もなくなっていた。一角が空いていた。水たまりが一度明るくなり、また暗くなった。

向かいの二階のあの窓は、以前はずっとテレビが点いていたが、いまは暗かった。遠くを地下鉄が通り、音が地の底から上がってきた。ひとしきり、一度やんで、またひとしきり。

シャッターはまるごと引き上げられ、一番上まで巻き上がっていた。レールの端に留め金が一つあり、留め金がゆるんでいて、シャッターは一番上で止まったまま、もう下りてこなかった。レールの中の灰が一筋こすり取られ、下の鉄がのぞいていた。明るかった。戸口のマットはまだ濡れていた。彼はマットの上で一度止まり、靴底の水をこすり落としてから、中へ入った。右足の取り付け部が敷居に当たり、一度鳴った。敷居の上の水の光も一度明るくなった。

店の中の冷蔵ケースは、もう鳴っていなかった。以前は入るたびに、ぶうんという音が耳の底に押しつけられ、長く押しつけられていた。いまはそれがなく、戸口から吹き込む風だけが残っていた。風が吹くと、棚の端のフックが一度ぶつかった。鉄が鉄に当たる、短い音だった。壁に時計が一つ掛かり、秒針は止まっていた。あまり切りのよくない数字の上で止まっていた。彼は時刻を見にいかなかった。

彼は倉庫で六年働いたことがあった。あれは別の場所で、別の種類の棚だった。毎月の月末に棚卸しをし、棚を一列ずつ数え、数え終えると上に報告し、報告した数は帳簿の数と合わなければならなかった。合わなければ、もう一度数えた。彼は数えるのが遅かったが、間違えることはめったになかった。数えた数は、小さな手帳に全部書き写した。字は小さく、場所を節約した。この薬局の棚も、彼は数えたことがあった。消炎、鎮痛、皮膚、一列ずつ、どの列も数えた。皮膚の列は十一箱で、一箱も欠けていなかった。

レジの後ろには誰もいなかった。カウンターの帳面は伏せたままで、彼はめくらなかった。壁のあの札はまだあった。お支払いはカウンターで。角がめくれ、テープで貼り直してあった。カウンターのガラスの下に価格表が一枚挟まれ、紙の角がめくれていて、壁のあの札と同じだった。彼は一目見て、カウンターへは行かなかった。

棚は奥まで伸びていた。奥には空の金属のフックが一列残っているだけで、どのフックにも値札はなく、鉤の先は下を向いていた。

真ん中の段、戸口に近いあのマスに、白い箱はまだあった。側面の小さな値札はなくなり、色あせていない白い跡だけが残っていた。

彼は手を伸ばした。手は宙で止まらなかった。指が開き、箱の上に落ちて、それを取り下ろした。

箱は軽かった。覚えているより軽かった。紙箱の角に一本の押し跡があった。何度も動かされて残ったものだった。

彼は側面を見ようと向きを変えなかった。あの一連の形は覚えていた。頭の中で勘定を一度やり直し、二度目まで行って、答えは出なかった。あの帳簿は計算しきれていなかったし、もう計算するつもりもなかった。

前回、彼はそれを戻した。ラベルを外に向け、隣の数箱と揃えて。今回は戻さなかった。

箱の裏の日付はまだ遠かった。来月のことは、段の上で何度も考えた。そのたびに、来月また考えようとなった。今回は、そう言わなかった。

彼は箱を上着のポケットに入れた。ズボンのポケットの鍵が動きにつれて一度鳴った。かすかだった。彼はうつむいて掌を一目見た。掌には何もなく、白い輪が一つあるだけだった。さっき箱を握りしめて押された跡だった。

戸口まで歩いて向きを変えたとき、肩掛けかばんの帯が段の上でこすれ、口からまた一枚紙が滑り出て、二段目に落ちた。彼は腰をかがめなかった。

通りに人が来た。作業服の男が地下鉄の出口から出てきて、段のそばを通り、彼を一目見て、小さくうなずいた。彼もうなずき返した。その男は止まらず、向かいのコンビニに入っていった。コンビニの扉が開いて閉まり、扉のベルが一度鳴った。

戸口の外の街灯はあの一本のままだった。笠の中のあの虫はいなくなっていた。飛んでいったのかもしれない。回っているものは何もなかった。笠の縁に灰が一周つき、灰の上にごく小さな手の跡が一つあった。誰のものか、彼は知らなかった。灯りが戸口から漏れ込んできた。橙紅だった。同じ橙紅が戻ってきた。

今度は、それは一か所に止まらなかった。手の甲いっぱいに落ち、指の節の古い傷、あの白いもの、一本また一本、すべてが照らし出された。彼は息を一つ吐き、白いその一塊も橙に照らされて、散った。ゆっくり散った。橙紅はこの片方の手の甲にだけ落ち、ほかの所はみなもとの色のままだった。

彼は段を下りた。通りの向かいの排気口から白い気が上がり、ひと吹きずつ、風が吹けば散った。三段目のあの黒い染みはまだあった。彼は見にいかなかった。一歩ごとに、右足の取り付け部が一度鳴った。速くもなく、遅くもなかった。

ショーウィンドウの前を通るとき、ガラスに彼の顔と、背後のシャッターが映った。シャッターは上がっていて、ガラスの中のあの戸口の一区切りは空だった。コンビニの扉のベルがまた一度鳴った。彼は振り返らなかった。

彼は上着のファスナーを顎まで引き上げた。通りの角の赤信号が点いていた。道に車はなく、彼は線の後ろに立って、待たなかった。線を越えた。

向かいに渡ると、彼は手を上着のポケットに差し入れ、布越しにあの薬の箱を一度押さえ、それから一度笑った。短かった。