第一部・調和の下で
第7章名簿の一頁目
名单第一页
中国語の原文からの翻訳です。

布張りの帳簿が一冊、鎮浦武館の長机の上に広げてあった。
長机の埃は薄かった。帳簿が押さえている一角だけは、きれいだった。四辺が揃い、どの角も歪んでいなかった。
布の表紙は深い褐色で、擦れて白っぽくなり、角が毛羽立っていた。表紙には字が一字もなかった。左上の隅に小さな紙札が貼ってあり、「第一冊」の三字が書いてあった。
前半は館規で、一条ずつ、各条の下に署名の場所が取ってある。後半は名簿で、後半の一頁目から始まる。紙は前の部分より一段白く、まだ何度も繰られておらず、小口だけが毛羽立っていた。どの頁にも右上に頁数があり、その数字はすべて同じ筆で書かれていた。
名簿は六つの欄に分かれていた。番号、名前、札番、入館、署名、敗。一頁目の第一行の上に、罫線も字もない空白の行が一つ残っていた。第一行の番号は「一」で、名前の欄は三字だった。沈鎮浦(シェン・ジェンプー)。
この三字は、彼が書いたものではなかった。彼は冊子に自分の名を書いたことがない。書いたのは、彼が頼んだ筆写の人だった。一画ずつ丁寧に書かれ、字の末筆は同じ線の上に揃い、どの字も背丈が同じだった。
筆写の人は、彼が最初に頼んだ者だった。彼女の名は、この冊子のどの頁にも記されていない。名簿にも、彼女の行はない。その後に替わった者たちは、みな彼女の字を見て書いた。百頁前後まで書き継いでも、字の高さは変わらなかった。
筆写に使った硯は石製で、長机の左側に置いてあった。
硯の縁には墨の染みが一周あり、幾重にも重なって、色の濃さはまちまちだった。硯池の墨はまだ半分残っていた。墨の面に膜が張り、膜には一筋の割れがあった。縁から中央へ向かって走っている。
硯のそばに筆が一本置いてあった。穂先が一寸ほど潰れていて、潰れた側は墨の線が途切れていた。筆を置いていた場所には、机の上に墨の跡が残っていた。その形は筆軸とまったく同じだった。
一頁目の字は、この筆で書かれている。その後の百頁余りも、同じ筆である。
書棚は壁際にあり、三段ある。二段目に、同じ布張りの帳簿が一冊立っていた。深い褐色で、表紙に字はなく、小さな紙札に「第二冊」とある。
その背は糊で貼ってあり、糸では綴じていなかった。紙は新しく、まだ繰られておらず、一頁も書かれていなかった。頁の角は揃い、書棚の板に押されて、ごく浅い跡が一筋ついていた。
名簿の第三十六行は、一字が削られていた。
削り刀が紙の面に斜めに入り、表の一層を削り取っていた。削られた箇所は紙が薄く、窓に透かすと、下に残った字の撇が一本と、横画の半分が見えた。書き直した字は、隣の字をなぞって書いたもので、画の高さが揃い、末筆は同じ線の上にあった。
この行の番号、入館、署名には、手が加えられていなかった。名前の中の、その一字だけが改められていた。
館規の第一条は、開館一年目に書かれ、こうある。「入館者は、一諾を改めず。」
字は筆写の人が書いたものだ。この条の下に署名した者は十一人いる。八人は名前を書き、三人は指印を押している。指印は名前のそばの空欄に押されていて、強く押したため、紙の裏に暗い色の輪が透けていた。指印の縁には細かい筋が一周あった。物を握り続けて擦れてできた筋だ。八つの名前のうち二つは同じ手で書かれたもので、二行とも筆画の太さが同じだった。
署名した者は、みな荷かつぎだった。
第二条と第四条の字は、繰られて毛羽立ち、読めなくなっていた。第三条はこうだ。「弟子は歩調を乱すべからず。」字の大きさは第一条と同じで、署名欄には指印が一つ押してあるだけだった。
第一条の小口に、墨の薄い小さな字が一行あった。後から加えられたものだ。こうだ:三人去った。みな他の組に呼ばれて、荷かつぎに行かされた。
その三つの名前は、まだ名簿に残っている。どの名前にも細い線が一本ずつ引かれている。ごく軽く引かれていて、まだ読める。
第五条は二年目に書かれた。
「入館には鑑札を要する。」
この条の下に署名はなかった。その下に小さな字が一行ある。こうだ:鑑札は毎月、会費を納めた者が受け取る。納めない者の鑑札は館に留め、返さない。
同じ年、作業小屋の冊子に一行あった。名前の欄の字は指でこすられ、灰色にかすれて読み取れない。札番の欄は空いていた。行の末に朱筆で一字書き加えてあった。「阻」の字だ。
作業小屋の戸枠には、木の札が一枚打ちつけてあった。白地に黒い字で、字は彼が書いたものだ。冊子の字よりずっと大きい。「札なき者は入るべからず。」
作業小屋の中には長椅子が一列あり、腰かけている者はみな札を下げていた。札は鉄製で、一枚ずつ首から掛けられている。人が動けば、札が触れ合った。戸口に立つ男には札がなく、だから音がしなかった。
会費は鉄の箱に集められていた。箱は四角く、金を入れる口は細い切れ目で、その縁は磨けて光っている。箱の下には紙が一枚敷いてあった。毎月一行で、一行ごとに札番が一つ書かれ、後ろの欄に「交」か「留」と書いてある。
「留」の欄に書かれているのは、みな荷かつぎの札番だった。
鉄の箱の錠は新しい。錠の穴には小さく丸めた紙が詰めてあった。白い紙で、字はない。
館規の署名欄を、一通り数えてみた。
第一条は十一。第二条は、字が毛羽立った数行があって、数えられない。第三条は一。第五条は零。第九条は零。第十四条は一つで、四角い印が押してある。その印は彼のものだ。第十七条は零。第二十二条は零。
署名の数は、条を追うごとに減っていく。後ろの条になるほど行間は狭まり、字は詰まっていった。
第九条「入館者は家庭を持つべからず」が、第八条と第十条のあいだに押し込まれている。
行間は他の箇所の半分しかない。字は前後より一回り小さく、墨は前後より濃い。第八条の署名の下に、第九条の最初の字「入」の撇が押し込まれている。
この条には署名がない。署名欄は空白である。
開館四年目、帆布を縫う女が去った。上りの船に乗ったのだ。
彼女は帆布を縫い、作業服も繕っていた。この冊子の背を綴じたのも彼女だ。糸は赤く、太く、針目は大きい。一針ごとに結び目があり、糸の端は背の外に出ている。背の孔は全部で四十七。間隔は揃っている。糸はもう褪せて灰色になり、結び目のくぼみにだけ、元の赤がわずかに残っている。
製本職人は、糸の端を中に隠す。彼女は隠さなかった。
裏庭の地面には、白い石灰で格子が描いてあった。一格に一人が立つ。格子の大きさは揃い、線はどれもまっすぐだった。
第三条「弟子は歩調を乱すべからず」は冊子に書かれている。この格子は、それが地上に現れた姿だ。どの格の中も、地面に他より色の濃い跡がある。同じ位置に長く立った足が残したものだ。
格子の外の地面は土で、人が通るのでもう平らになっている。格子の中からは、一歩も外へ出た者がいなかった。
鑑札は鉄製で、一枚に一つずつ番号が打たれている。番号は表に打ち込まれ、裏には二字が彫られていた。「鎮浦」。
零番の番号は、後から刻まれたものだ。刻み目は他より浅く、縁はまだ新しい。他の番号の縁は、もう丸く磨り減っている。
鑑札を渡す冊子は、カウンターの上にあった。館規の帳簿より薄く、紙は埠頭で使われる藁半紙だった。カウンターは戸板一枚で、それを二つの木箱の上に渡してある。第一行は零で、登録の日付は開館一年目の三月と書かれている。
零番の行には、職業の欄に「荷かつぎ」、備考の欄に「自取り」とある。この札は誰かが渡したものではない。彼が自分で取ったものだ。だから冊子には「自取り」と書かれている。
零番のあとの行は、どれも備考の欄に、納めた会費の月数が書いてある。いちばん長い行には「十七か月」とある。
開館七年目より前、零番は彼の腰に下がっていた。埠頭の者はみな、それを見たことがある。
開館七年目以降は、館の門の後ろの釘に掛けられた。釘は鉄で、釘の頭は撫でられて光っている。札は表を壁に、裏を外に向けて掛けてあり、門の外の者にもその二字は見えた。
第十四条は七年目に書かれた。字は筆写の人が書いたものだ。
「館主の札は館を離れるべからず。」
この条の小口に小注が一行ある。本文より小さな字で、一画ずつ、きちんと揃えて書かれている。こうだ:館主は館の中にいる。字は彼が書いたものだ。
「館」の字の最後の一画は墨の色が濃く、墨の中に白い糸が一本埋まっていた。糸は布から落ちたもので、墨が乾いてからも糸は墨の中に残り、片端が紙面からわずかに浮いている。
右腕に巻いた布は、この年、十四周目まで巻かれていた。条が一つ加わるたびに、一周ずつ多く巻く。一周の幅は指一本ぶんだ。十四周目は前の周より厚く、前の周の縁を押さえて、白い跡を一筋つけている。
館の門の後ろの釘は、門枠の内側に打たれ、敷居から二歩のところにある。
釘の下の壁に、他より白い四角い跡があった。縁は揃っていて、札の形をしている。札が掛かっていた場所には埃が積もらず、壁の色はずっと元の白のままだった。
札は長く掛かっていたので、跡は今も残っている。埃は跡の縁にだけ積もり、時が経つほど、縁はいっそうはっきりしてきた。
館の門は二枚戸で、木製だ。扉の上の縁に横に走る木目が一筋あり、他より深い。扉を押した手の跡が、そこに刻まれたものだ。
門の閂は内側にある。閂の溝の埃はならされていて、触れられた跡は一筋もない。閂は脇に置かれ、頭を上に向けている。一度も溝に差し込まれたことがないのだ。
扉が閉まっているときは、隙間から外の光が透けた。開いているときは、敷居がちょうど通りに向いていた。
門の後ろの地面には、布靴が二足あった。一足は彼のもので、つま先を内に向けている。靴底はきれいで、埠頭の泥はついていない。もう一足は新しい弟子のもので、靴底に泥があり、その泥は乾いていた。
館の門の敷居は一本の材木をそのまま使ったもので、地面から指一本ぶん高い。敷居の天端には凹みが一筋あり、長年、扉が擦ってできたものだ。
門の内側の板の一枚は、他より光っている。手のひら大で、縁がはっきりし、靴の前の部分の形をしている。門の外側の板は灰色で、何本か削られた跡がある。その跡は物を引きずってできたもので、足によるものではない。
光っているその板は、開館八年目に磨かれたものだ。
その年、また一人の人夫が作業小屋に締め出され、関門の外に立っていた。札がなかったからだ。その男を館の中へ連れてきて名を記すには、関門まで出向くほかなかった。
その日、零番はまだ釘に掛かっていた。敷居から二歩のところで、裏を外に向けていた。
新しい弟子は腰に札を下げ、先に門を出た。三段の石段を下りて、通りに出た。段の外の石板の目地には細い草が生えていて、草はみな同じ方向に倒れていた。門を出る前、新しい弟子は振り返り、門の後ろの釘を一度見て、また前を向いた。
館主は後ろから続き、足を上げて敷居をまたいだ。足が下りたのは、門の内側のあの板の上だった。門の外の板には、足跡がなかった。
翌日、同じ足が、また同じ場所に下りた。門の外には、やはり何もなかった。
三日目からは、その板の上に埃が、また積もり直した。
その年、杭の拳の痕は、前の年より一層多く重なった。
和諧殿の正中に、一本の杭が立っている。墨のように黒く、人の背より少し高い。
杭はもともと鎮浦武館の裏庭に立っていた。埠頭の関門のそばから抜いてきた古い係船杭で、下の礎石も杭と一緒に館へ引き入れられた。礎石には数字が一つ刻まれている。七。館へ引き入れたとき、杭の胴にはすでに一筋の割れがあった。
その後、杭は裏庭にはなくなった。杭を動かした者は、記録を残していない。
杭の胴には浅いくぼみが列になって並んでいる。一列に十二本ずつ。どれも縁が丸く磨れている。三千本余り、深さはまちまちだ。弟子が一度敗れるごとに、杭に一本つける。一本は、彼に打ち伏せられた弟子一人にあたる。名簿に載っているそうした名前には、どれも「敗」の欄に印がある。
拳の痕がいちばん深い一段は、杭の右側にある。痕が重なり合っている。その一段は、開館八年目より後に打たれたものだ。杭を打ったのはみな弟子だった。杭の痕は、一つとして白布を巻いた手から来たものではない。
杭の頭は鋸で切られ、切り口は天を向き、木口が白い。
杭には古い割れが一筋ある。斜めに上から下まで走っている。割れ目には白布の小さな切れ端が挟まっていて、布の縁がめくれ、きつく食い込んでいる。誰が巻いていた布なのか、杭は記していない。
第十七条は十年目に書かれた。字は筆写の人が書いたものだ。
「規は人では改めず、拳でのみ定める。」
この条の小口には小注が一行ある。本文より大きな字で、墨の色が重く、紙の裏に墨の点が一つずつ透けている。小注の字は彼が書いたもので、本文の字と寸分違わない。
十年目以降、冊子のどの条も線で消されたことはなく、字一つ改められたこともない。どの条も元の字のままで、どの署名も元の署名のままである。
その年、名簿に一枚の紙片が挟まっていた。紙には改めるべき字句が書かれていた。半行ほど書いて消してあり、消したのは一本の横線だ。紙片の裏は名簿の一行だった。一つの名前があり、敗の欄に縦線が一本あって、縦線のそばにその年の日付が書かれている。
その年、杭に新しく加わった拳の痕は、それ以前のどれよりも深かった。木口は磨かれておらず、縁はまだ白い。
第二十二条は、館規の最後の条である。十一年目に書かれた。
「鎮浦の弟子は敗れるべからず。」
この条は彼が自分の手で書いたものだ。筆は毛筆で、穂先は柔らかく、軸には白い糸が一周巻いてある。手で握る所だ。
「不」の字のあと、「得」の字の第一画が、途中で一度切れている。切れ目の両側は、画の半分ほどずれていて、切り口は平らだ。つなぎ直した部分は墨の色がわずかに薄く、尾に細い糸を引いて、元の向きへ戻っている。筆が手の中で少し滑り、それから引き戻されたのだ。
その日、右腕の布は二十二周目まで巻かれた。布が足りなくなった。
布を一段切り取った。切り口は揃っている。定規を当てて切ったものだ。この布はもともと掛け布団の裏地で、白い粗布だった。帆布を縫う女が余らせた一枚から裁ったものだ。切り取った布は、第二十二条のあるその頁の綴じ目に挟まれていた。指三本ぶんの幅で、字はなく、糸もない。
第二十二条のあと、館規の最後の頁は白紙だった。頁の下部には署名も小注もない。次の頁から、名簿である。
名簿の三百七頁、後ろから七行目で、一行が線で消されている。
一本の直線が、両端を字の縁にぴたりと合わせて止まっている。線は強く引かれ、紙の裏に灰色の筋が透けていた。線の下の字は、まだ読み取れた。
この行の字は、名前、札番、入館の三欄にまたがっている。番号の欄は空だ。続けて読むと、こうなる。「LM-1、黄浦軌道造船所、館に入らぬもの、通行を認めず」。
この頁に挟まれていたものには、さらに一通の書状があった。書状の頭には黄浦軌道造船所の名が刷られている。本文は一文だけだ。「LM-1は関門の外に停まっている。通行を許可されたし」。書状の裏に一字書いてあった。彼の字である。「不」。
この頁の字は、筆写の人の手ではない。別の手に替わっている。字は前の頁より一回り大きく、どの字も重心が右に寄っているが、寄り方はわずかだ。頁の数字だけは、あの穂先の潰れた筆で書かれている。
この行を消した年は、開館九年目である。線を引いた墨は、この頁のほかの墨とは同じ墨ではない。後から補ったものだ。
名簿の中で、番号の欄が空なのは、この行だけだ。ほかの行にはみな番号があり、番号は一つずつ続いていて、途切れがない。
名簿の敗の欄は、どの頁にもある。大半の行は空白である。
百頁より前は、敗の欄にほとんど印がない。ときおり縦線が一本あるだけで、一年に多くて一本だ。二百頁の前後になると、縦線は密になり、一行に一本、一行に二本となる。どの縦線の頭にも小さな鉤がついている。打ったときに、ついでに引っかけたものだ。
新しい弟子の名は、名簿の第四十一行にある。入館の欄には開館七年目と書かれ、敗の欄は空である。
カウンターの後ろの壁に、埠頭の図が一枚掛かっていた。墨線で描かれ、紙はもう黄ばんでいる。四隅は画鋲で留めてあった。
図の上の関門は一つの枠で描かれ、枠の中に一字書いてある。「入」。埠頭の他の場所には線だけがあり、字はない。作業小屋は小さな四角で描かれ、名前はない。造船所は図のいちばん端にあり、描かれた線は紙の縁で途切れている。
埠頭の関門には、木柵が一つあった。
木柵の上には横木が一本渡してあり、その下に長い板が一枚、釘で打ちつけてある。板には鉄の鉤が一列に並び、それぞれの鉤に札が一枚掛かっている。番号は一から四十まで。番号は鉄釘で一打ちずつ打ち出されたもので、どの画にも打った跡が残っている。
一番左の鉤は空だった。鉤の塗りは新しく、まだ何も掛けたことのない、あの光り方をしている。鉤の上の木の板には「零」の字がある。字は新しく描き直したもので、きちんと正しく描かれている。
木柵の中ほどに方形の穴があり、札は一枚しか差し込めない。穴の縁は撫でられて光っている。札を差し込むと、木柵の横木が持ち上がる。
柵の桟のあいだの隙間は、ちょうど一人が体を横にして通れる幅だった。
札のない者は、柵の外に立つ。木柵は動かない。
開館十二年目、冬。
阿貴(アグイ)は木柵の外に立っていた。天秤棒は柵に立てかけられ、両端の縄はまだ掛かったままだった。縄の結び目はゆるんでいた。
彼は両手を横木に載せていた。手の甲には埠頭の埃がつき、指の節は太い。指の腹には胼胝が一面にあり、その縁は硬い。胼胝は荷かつぎで擦れてできたもので、一枚の上に一枚が重なっている。爪は肉の際まで短く切ってあり、爪の間には埃が溜まっていた。
彼には札がなかった。
彼の後ろには二人立っていたが、やはり札がない。柵の内側では、長椅子に腰かけた者が首に札を下げ、札が触れ合って、小さくぽつぽつと音を立てていた。
関門の外の石段を、埠頭の水が一段ずつ下がっていく。第三段まで下がって止まり、また少しだけ上がってきた。
彼の札は館の門の後ろに掛かっていた。月ごとの札である。今月の会費を納めていないので、札は館に留められ、釘に掛けられて、零番のすぐ隣にあった。その列の釘には何枚かの札が掛かっていて、どれも表を壁に向けていた。
木柵の中ほどの方形の穴は空だった。阿貴の手が横木から引き戻され、ズボンの縫い目の両脇に置かれた。手のひらは内を向いている。
木柵は動かなかった。彼は中へ入らなかった。